2011年2月25日金曜日

誕生日

本日誕生日を迎えました。
実は、来週始めにとあるホームページ会社の短期実習を相談所の紹介から受けることが決まっていますので、これが就職のヒントにつながれば、と願っています。

2011年2月21日月曜日

フォトイラスト(もやしもん編)

フォトイラストで作成した、B.ナットーという菌キャラです。名前どおり、納豆菌をかもす菌です。

2011年2月19日土曜日

土柱

だいぶ前に久々に出かけてたので、土柱の写真をアップしておきます。
東側の公園から土柱頂上まで歩いて反対側へ携帯から撮影したのですが、ここから誤って落ちたら、たまったもんじゃあないだろうなあ。基本的に高いところは(真下を見るのは)苦手です。

2011年2月15日火曜日

面接

明日の某百貨店の就職マッチングフェアにも面接参加する予定です。今月は気になる求人をいっぱい面接して、自分のあってる就職先をじっくりと考えています。
本日面接した某所はホームページを作成するところですが、結果は先送りでそこは商品をアップする内容が多く(パーツ商品の名称はまだわかるとして)、正直そこでやっていけるかどうか、悩むところです。

2011年2月14日月曜日

徳島の大雪

本日も、求人検索のため、午前10時頃徳島ハローワークのWeb相談に出かける。向かってる頃から、雪がしんしんと降っていたため、まさか昼過ぎになると白い風景に様変わりするとは思わなかった。ここまでの大雪になるなんて、徳島じゃあ何年ぶりだろ。小学生の頃、雪ダルマかかまくらを作れるほどの大雪なんて時代もあったんだけど、ここ数年はよく言われる温暖化がうそのようにも思える。
実は、明日去年から気になってた求人会社の面接が決まりましたので、今度はいい結果が出るように、笑顔を忘れないように頑張ります。ただ、これだけ大雪だと明日はタイヤチェーンがいるかも・・・・。

2011年2月12日土曜日

画像イラスト最新作

フォトイラスト最新描き下ろしのスズキジムニー(現行3代目)のフォトイラストです。

もう1件追記(もやしもん編)

もやしもんに出てくる、L.フルクチボランス、別名火オチ菌です。見た目は他の菌と違い、ブサイクですが。

2011年2月11日金曜日

飲み会

11月以来の基金訓練生のメンバーと飲み会に参加しました。あさとさん、バレンタインチョコありがとうございました。それ以外の皆さん、またお会いしましょう。またジョイメイトに寄ります。

2011年2月7日月曜日

面接の結果

2次面接をまってはいましたが、ハローワークからの確認で、残念ながら見送りになりました。
しかし、アルバイトからでもいいから、デザイン系で入れるよう、情報収集は続けます。
明日のデザイン職種別職業相談会にも出席します。

2011年2月4日金曜日

もう一本追加(親鸞ネタではありません)

フォトイラストで作成した、もやしもんに出てくる、P.クリソゲヌムというキャラです。
平たく言えば、青カビで、賞味期限の切れた食パンによくかもされてますが、100パーセント有害というわけでもなく、ペニシリンの材料に使われたり、チーズをかもす時に利用される菌です。

2011年2月3日木曜日

親鸞展

1日に面接を受けて、その後のお偉いさんを通しての2次らしき面接の返事がハローワークからもまだ返事がないため、会社を信じて、今日は徳島市内に出かける。
母親から、行く暇がないというため、本日が最終日だというので、某デパート6F特設会場へ見に行く。チケットを譲ってくれたので、ただで見に行く。
さて、ヤマさんとまでは言わずとも、少しうんちく。
親鸞は混迷期の時代の平安時代中期に活躍した、僧侶であり、わずか9歳で出家し、比叡山で20年ほど修行中に、後に親鸞の人生の大きなターニングポイントとなる師匠の法然と出会います。
後に法然の許しを経て、先着本願念仏集の書写を許され、書写の思いとして、「念仏の教えをそしる人が悪道に落ちることのないように、読んだ後は壁の中に埋めて、窓の前に出しておかないように」と封印を願っていました。生きる意味を何よりも重視した親鸞は、様々な庶民の苦労を理解し、庶民のための念仏を唱えようと生涯誓ったそうです。
しかし、新しいことをすれば、いつの時代も出るくいは打たれる、かのように親鸞が35歳の頃、旧来の仏教各派から、猛反発を受け、後鳥羽上皇が熊野に参詣した留守中、女官2人が無断で法然の主催する法会に参加し、上皇の逆鱗に触れ、法然や親鸞は流罪の厳しい処分を受けてしまいました。
当時は聖道の諸道が廃れ、浄土の真宗だけが盛んになっただけに真実が不明確になり、これが上皇・天皇が気に入らなかったらしく、個人的な怒りで処分されてしまいました。
40歳頃にようやくお許しが出て、京(都)を戻ることを許されたものの、その翌年に師匠の法然が他界します。そのショックから、親鸞は京に戻らず、越後に残ります。
その後、越後から、関東を渡り歩き布教を続け、多くの弟子を設け、「教行信証」なるお経の親鸞独自の作品を編み出し、90歳で当時としては異例の大往生を果たします。
会場は撮影禁止だったため、会場はさすがにじーちゃんばーちゃんばかりで、若い人はほとんど(平日だったこともあり)見当たらなかったです。
こういう企画を若い人たちにも興味を引かせる何かを持たせれば、混迷している日本のヒントになることを今回の展示で思いましたが。

2011年2月1日火曜日

面接

本日午後1時に某デザイン会社に面接。今日は、筆記試験とデザインフォトの地図作成と若い代表のちょっとした面接でしたので、次回はお偉いさんとの面接を受けるというので、これでまだ本決まりではありません。