2011年2月3日木曜日

親鸞展

1日に面接を受けて、その後のお偉いさんを通しての2次らしき面接の返事がハローワークからもまだ返事がないため、会社を信じて、今日は徳島市内に出かける。
母親から、行く暇がないというため、本日が最終日だというので、某デパート6F特設会場へ見に行く。チケットを譲ってくれたので、ただで見に行く。
さて、ヤマさんとまでは言わずとも、少しうんちく。
親鸞は混迷期の時代の平安時代中期に活躍した、僧侶であり、わずか9歳で出家し、比叡山で20年ほど修行中に、後に親鸞の人生の大きなターニングポイントとなる師匠の法然と出会います。
後に法然の許しを経て、先着本願念仏集の書写を許され、書写の思いとして、「念仏の教えをそしる人が悪道に落ちることのないように、読んだ後は壁の中に埋めて、窓の前に出しておかないように」と封印を願っていました。生きる意味を何よりも重視した親鸞は、様々な庶民の苦労を理解し、庶民のための念仏を唱えようと生涯誓ったそうです。
しかし、新しいことをすれば、いつの時代も出るくいは打たれる、かのように親鸞が35歳の頃、旧来の仏教各派から、猛反発を受け、後鳥羽上皇が熊野に参詣した留守中、女官2人が無断で法然の主催する法会に参加し、上皇の逆鱗に触れ、法然や親鸞は流罪の厳しい処分を受けてしまいました。
当時は聖道の諸道が廃れ、浄土の真宗だけが盛んになっただけに真実が不明確になり、これが上皇・天皇が気に入らなかったらしく、個人的な怒りで処分されてしまいました。
40歳頃にようやくお許しが出て、京(都)を戻ることを許されたものの、その翌年に師匠の法然が他界します。そのショックから、親鸞は京に戻らず、越後に残ります。
その後、越後から、関東を渡り歩き布教を続け、多くの弟子を設け、「教行信証」なるお経の親鸞独自の作品を編み出し、90歳で当時としては異例の大往生を果たします。
会場は撮影禁止だったため、会場はさすがにじーちゃんばーちゃんばかりで、若い人はほとんど(平日だったこともあり)見当たらなかったです。
こういう企画を若い人たちにも興味を引かせる何かを持たせれば、混迷している日本のヒントになることを今回の展示で思いましたが。

2 件のコメント:

  1.  よく勉強されてますね。
     人は別に信者でなくても精神上の偉人、宗祖を尊敬する人はいるもの。ある人は道元であったり、あるいは日蓮、法然であったりします。
     私は、ブログにも書いたように一遍の生き方にひかれます。
     展示を見られてなにか生きる糧を得られたでしょうか。

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  2. こういううんちくはめったに書き込みがないため、今回チャレンジしてみました。ちなみにうちは仏教を重視して人生を歩もう、と思っています。

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